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遊んだゲームの感想なんかを書き残していこうかと思っています

「一緒に行きましょう逝きましょう生きましょう」紹介

人間の罪を償うため、少女は死に続ける。

 

おはよう。

「一緒に行きましょう逝きましょう生きましょう」とは、死に続ける少女と滅亡世界を旅する絶望ノベルADVである。

「世界が滅ぶ」「二人だけの世界」「無力と絶望」に定評のある「ウォーターフェニックス」の作品。…というかこの作品のせいでそういう評になってる気がする。

元々は2015年にスマホで出ていた作品で、今作はそのリメイクにあたる。グラフィックが一新され、UIがコンシューマ向けに最適化された。

選択肢のない一本道ノベルで、全部読みきるのにだいたい5時間くらい。短めの尺に鬱が凝縮されている。

 

見知らぬ部屋で目覚めた主人公の男の子「鏡夜(きょうや)」は、感覚がなく、身体を動かすこともできない。

そんな中現れた「人間」を名乗る少女に、鏡夜は自身の運搬を依頼する。

 

しかし少女には「神様」に与えられた使命があった。

「人間は戦争によって地球上のすべての生命を滅ぼした」

「人間は罪を償わなければならない」

少女に課せられたのは「地球上の全ての哺乳類の死を追体験する」事。「人間」の代表たるその自らの身を焼くことでしか、人類がその罪を清める術はないのだと。

何十、何百、何千、何万回と、少女は死に続け、その度に生き返りながら、途方もない贖罪の旅を続けている。

鏡夜は少女に運搬してもらうことでその旅に同行し、まだ生き残っているかもしれない自分たち以外の人類を探そうとする。

 

鏡夜は少女に「アサギリ」という名を与え、様々なことを教える。ピンを倒す遊びがあること。星々には名前があるということ。朝、起きたら「おはよう」と言うこと。

少女の世界には「使命」と「神様」しかいない。鏡夜はアサギリに、「幸福」を得てほしいと願うようになっていく…。

 

ただただ…、二人の関係性がピュアすぎる。くすんだ世界でこれだけが輝いて見える。

「きょーや」は「神様」とは全然違うことを言う。ときには「神様」を否定することさえある。それでも「神様」は少女にとって自身の存在意義そのものであり、絶対のものだ。

誰も何も変わりはしない。「自分の存在意義」に対して抗うとか、否定するなんてことは出来はしない。それは…心の根っこにあるものだから。身体もそうだけど、人間の心は、もっとずっと無力だ。でも「誰かに必要とされたい」と思う、イノセントな感情を揺さぶる何かが、確かにそこには存在している。

 

ウォーターフェニックス作品は、究極的にはどこまでも「にんげんがすき」だ。人間の醜さを描けば描くほどに、どこか愛しい。少女性とその無垢とを突き詰めれば突き詰めるほどに、それこそが人の辿る「地獄」と「罪悪」との根源のようにも思われてくる。つまるところ…原罪を辿るという行為は逆説的な人間賛歌なのだ。ただ生きている証が欲しい、と考えるならば、それはきっと人として自然のことだ。

途方もない数の「おはよう」で世界は満たされていく。途方もない数の、時間をかけて。

 

1430円、プレイ時間約5時間

プレイした日2023/01/14~2023/05/05

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